カテゴリー「小説>LAST TRIP」の記事

2006年4月19日 (水)

Last Trip⑫

冷たくなった母でも姿が有るうちは、どうにかして生き返らせることが出来ないものかと模索したものである

  

しかし一生懸命考えてもすぐに現実に突き落とされる。

現実と言うものは冷酷である。

私は生き地獄と言うものを味わっていた!

人は事件が起きた時に「たられば」に逃げ隠れする!

私も少しでも時間があれば「あの時~だったら」などとそちらの発想に考えを持って行っても、目の前の棺桶がすぐに現実に引き戻す!

  

世の中にこんな残酷な光景が有ってよい物かと思われる。

  

母が居ない人生なんて考えたことも無かった!

母に化粧を何度もしなおす。

化粧品は全て私がプレゼントしたものである。

この高い化粧品でさえも死者の顔にはノリが悪いものであった!

頬紅を塗り、そして顔色を良くしてあげようと思っても不自然に成ってしまう・・・・

私は父の遺髪を紙に包み、母の合わせた手の間に挟み込んだ!

「方向音痴の母を父が護ってくれますように・・・」

    

火葬場で最期の別れが始まる・・・・

いえ始まったのではない!

最期の別れが終わったのだ!

私はもう生き返らせることを諦めた・・・・・

   

   

Last Trip ⑪

物事が終焉に向かう時も人は本当に愚かである。

目の前には血圧が二桁となり、明らかに自発呼吸の無い母が横たわる。

私には覚悟が出来ていたはずであった。

この時点での私はまだ残された時間が短いと理解しているのに終わりはいつに成るんだろうかと思う自分も居た。

    

危篤の身内が居る時に人は安眠できる状況ではなくなる。疲れた身体は目の前の残り少ない時間を味わう余裕は無く、母と手を繋いだまま時折寝てしまう私が居た。

  

母がもしも意識が有るのであれば私に簡単にベットに横たわるのを勧めたであろう・・・

  

身内の危篤に自分の身体に鞭打って旅立つものに誠意を尽くすのは生きている者のエゴではないかと今では思う。

  

後悔したくないから側に居る。

死に行くものは無に向かっている!

生きている人間が寂しいのであって、旅立つものはもしかしたら迷惑かもしれない?

生きている者の観点で、まだまだ生きるものの観念がしに行く者の立ち回りを決定している。

それは仕方が無い。

   

母の耳元で「母さんが最高の母親だった」と賞賛した。

これも生きている私のエゴである。

母は意識の有るときにこんな感謝の気持ちが欲しかったのでは無いか?そう考えたりもする。

しかし死んでからは伝わらない。

正確に言えば旅立つ手前のこの状況でも伝わらないであろう・・・・

耳元でささやいた私の言葉はきっとエゴである。

もう思うだけで充分だったのかもしれない・・・・

    

私は母の左手の場所に椅子を置き、そして手を繋いだまま・・・・居眠りをしていた!

そして緩やかな夢を見ていた。

母と一緒にほのぼのとしていたのである。

母の暖かな手は私にとっての最後のプレゼントであった。

     

私は引っ張られるような感覚で驚き目を覚ました!

   

その引っ張られた感覚の瞬間は母の心臓が止まった瞬間であった!

私のLAST TRIPは終わった・・・・     

    

2006年3月30日 (木)

Last Trip ⑩

その週の火曜日に身内からステキな耳障りの良い状況説明が入った!

   

「母はもしかしたら快方に向かうかもしれない!」

   

そんな内容の電話であった!

私はこの時は流石私の母だと思った。

というのは母と私は似た体質なのか、多少の怪我はまるで人間離れとでも言える様なスピードで治癒していく!奇跡という言葉を信じた夜であった!

私は兄弟にも電話をし、「今日は久々に(安心して)眠れるね」と言い合った。。。

    

    

    

バスタオルはベランダに有った。。。。。

風に吹かれて靡いていたであろうと予測する。。。。。

    

    

    

疲れていた私は寝ようと思った。

そして睡眠に入って行こうとした。。。。。。

が、私は一瞬のうちに目が覚める現象がこの瞬間起こった!!!

    

      

    

   

スーーーーーハーーーーーースーーーーーハーーーーーースーーーーーーハーーーーースーーーーーハーーーーーースーーーーーハーーーーーー

  

   

   

母が私に会いに来たのだ!

これはモチロン肉体ではない!精神がである。。。。

音は最初は小さかったのだが、次第に大きくなり・・・・・・

人工呼吸器の音が部屋の中を鳴り響く!

私は寝る前に聞いた耳障りの良い状況報告は諦めた!

私は手を合わせ、「ごめん・・・・もう頑張らなくてイイから・・・」と話した。。。。

     

母は方向オンチであった。

にもかかわらずそれなのにきっとベランダに干してあったバスタオルを目印に私に逢いに来てくれたのであろうか?

今では思い出と成ってしまった母に確認する方法は何も無い・・・・

最期まで律儀な母であった!

私のところにLast Tripをして逢いに来てくれた!だから私は母にもう終焉は近いことを教えてあげた・・・・・

部屋に鳴り響いた呼吸器の音は次第に小さくなり、私一人がこの世に取り残された!

    

    

    

    

翌日危篤の連絡が入り、私は昼までに仕事の段取りと引継ぎをし、母の居る病院へ向かった!

男には「私はもう時間が無いから喪服を後で持ってきてください」とお願いした。

   

私も生きている母の所へ向かうLast Tripである!

2006年3月15日 (水)

Last Trip ⑨

本日の私の心は今現在に滞在している。

この物語とは少しかけ離れるかもしれないが中盤と言うことで少し話を本日の朝に有った出来事を書きたいと思う。

   

暑さ寒さも彼岸まで

   

最近はまさにその通りの気候である。街を歩くと商店は少し早めの草花をディスプレーし、私の目を楽しませてくれる。

春は私にとってはいつも残酷な季節と背中合わせになっている気がする。

     

本日の勤務先の近隣に健忘症と思しき女性が居る話をしたことが有る。

最近は逢わない事の方が多いが、彼女とコミュニケーションが取れている私は逢う度に笑顔で数分の談笑をしている。

    

本日は彼女の家の中から異様な声が聞こえた!私は少しだけ耳を傾ける。

「おとうさーーーーーーーーーーーーーん!!おとうさーーーーーーーーーーーん!!!」

   

嗚咽であった!

彼女は記憶の産物となった夫を思い出して泣いているのだろうか?

   

私は父が亡くなったあの日の母の嗚咽を忘れる事が出来ない!!

まだ私は若く泣くのを我慢できるほど感情が発達していなかったのか、それとも意地なのか今となっては解からない。

あの日は母以外その場に居る者はまるで意地の様に泣かなかった。

病室には母の嗚咽だけが木魂した。

  

********************

   

東京に戻り私はすぐ終わるかもしれないor長続きするかもしれない母の闘病生活に金銭面でも援助できるようにと仕事は可能な限り休まないことを決意した。

   

しかしそれは私の本心は嘘である。

仕事に現実逃避をしただけである。

    

東京に帰って先ずしたことは、洗濯である。

私は帰りには荷物を急いで整えた!

その為だと思う。

モチロンそれが原因である。

私は疲れて健忘症に成っていたのでしょう。

洗濯をすべきものをまとめたところ、母の名前の入った大判のバスタオル・・・・・

つまり病院で使用していた血液や体液の付着したバスタオルが荷物の中に混入していた!

    

科学的なことを考えたら、何らかの意志でバスタオルが私についてくるはずがない。

私が誤って持ってきただけの話・・・・ただそれだけである。

     

ビニール袋に入っていたため、タオルは異臭を放っていたが私はこのタオルを次回母の所に行く時に持っていかなければならないと思い洗濯をした。

そしてこのタオルは数日そとに干す結果となってしまった。

2006年2月14日 (火)

Last trip⑧

今まで病院に泊まっていた私であったが、彼がホテルを取ったとの事で私はそちらに移動と成る!

   

そこで彼にイロイロと相談をしなければ成らなかった。

そして、彼に色々と下記のように指示を受ける。

     

入院費や治療費の件は私の分は出してあげる。兄弟で等分した分である。

   

母親に付き添いの件は病状が落ち着いているのであれば、とりあえず帰ろう!会社はいつまでも甘えさせてはくれない。

   

付き添いなんかで仕事を辞めるなどと考えてはいけない。病院は完全看護である。

   

治療が長期に成った場合も考えて、キミのお見舞いの日程は翌年分まで考えている。その交通費とホテル代は全て出すが、もう決められた日しか留守にしてはいけないと、手帳をめくりながら歓迎できる話と歓迎できない話をしてきた。

   

今なら何故歓迎できないか解かる!

損得を考えないで付き合う事が出来た母親との関係に合理化という付き合いに変更された為である。

    

*****************

人工透析のお陰なのか母の顔から浮腫みが去っていた。

彼は顔色が良くなったと言っていたが、私には死相を感じてドキッとしたものである。

*****************

医師からは病状が落ち着いていることと、ぶっちゃけ現状では解からないというか要観察状況だった為、一旦帰宅しても良いといわれた。

またこの治療は(快方に向かう場合は)長くなりますからとも言われた。

******************

母の所に帰ると話をしに行く!

眠っている母の片方の瞼がピクピクと動いた!!!!

私の話していることに対して反応している!

「お母さん。今はちょっと病気を治すために不自由なだけだから。瞼は動いているから!解かったら動かしてみて」

   

ピクっ!ピクっ!

   

今は起きているらしい。

母の耳元で、誰も怖いことや意地悪な事はする人は居ないから。それと病院代も出してもらうし、何も心配要らないから。

また来年も旅行に行こうね。もう行く場所は決めたからね。

    

母はまぶたの動きで返事を重ねる。

*******************

新幹線の時間が迫ってきた!

そのため急いでこの数日の荷物をまとめた!

       

そして私は彼に連れられまた東京へ帰っていった!

      

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2006年2月12日 (日)

Last trip⑦

朝、起きて病室に向かう!

目の前には浮腫み肥大し、人相の変わった母が居る。

母と手を握る。。。。

    

「ステ、ステ、ステ・・・」と言う感じで口がパクパク動いている!

そして目も少し開こうとしていた!

      

今は治療の一環として眠らせているので有る!

この病室のすぐ側には母の物と思われる胸のレントゲン写真がガラス窓に立てかけられていた。肺は真っ白であった。

今は人工呼吸器をつけている!

人工呼吸器は口から喉を突きぬけ肺までと続いている!

話はしたいが、自分に置き換えてみれば解かるだろう!起きていたらそんな物は違和感の塊であるし、更にもしも起きたらそんな状況だったら錯乱してしまうだろう!

寝かせておく事が本人の為なのである。

      

「ステは居るよ~~、今は寝るのが一番だから。安心して寝てて・・・」

私に出来る一番優しい声で母に話しかけた!

母はまた眠りに付いた。

      

母に話しかけられたのはこれが最期である!

    

************************

尿の袋を見た。

濁っているし、量も少ない。

膀胱の機能が低下していた。

治療の一環として人工透析を案内される!

また患部に対して緊急手術も行われた!

    

**********************

手術は成功した!

そして人工透析も始まった!

しかし状況は良くなっているわけではない。

我々は今度は父方の親戚にも連絡を取った。母が危篤であると・・・

************************

我々はあまり自分から親戚に家族のように接してきた人間ではない。

   

病室近くのソファに据わっていた所、中年の女性が駆けつけた!

従兄弟の嫁であった!

従兄弟と言っても親子程度の年の差が有る。

彼らの娘の方が年齢が近かったりする。

従兄弟の嫁は自分の実家の近所

食事はこの日から従兄弟の家で食べたり、持ってきて貰ったりした。

     

夜は兄弟で風呂屋というかスーパー銭湯に通ったりした。

そこには床屋が有った。

私は腰まで伸びていた髪の毛をバッサリと切り落とした!

大切なものを無くせば、大切なものが戻ってくるような気がしたからである。

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この頃は一度にイロイロな事を考えながら過ごさなければ成らなかった!

入院代や今後生き延びた場合の治療費。

自分の仕事のこと。

誰か側に居れるか?などなど。

辛い現実に確実に向かって過ごさなければ成らなかった。

    

そうこうしているうちに土曜日となり彼が新幹線でやってきた!

駅でレンタカーを借りたらしく車で病院の駐車場へ停車した。

      

この前日くらいに彼が怒って携帯に電話をしてきていた。

私が連絡をしないからだそうである。

怒った顔をして車から降りる彼。

しかし彼はショートヘアーのオンナが好きである。

私の顔を見るなり、急に笑顔に変わり「かわいい」と微笑んだ。

     

      

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Last trip⑥

医者からの説明もこの日か翌日かは忘れてしまったが行われた。

聞きたくないほどの極めて厳しいものであった。

生存確率を上げる方法として脚部の切断も言われた。

また先端医療で保険適用外の治療も案内されるが、これは最低で千万は掛かるとの事で、案内はしますが、患者本人が亡くなった場合は遺族に莫大な負担が残ると。

しかし全ての最善の方法も甘く見積もって5%程度の生存確率を10%に上げる程度のモノであった。

    

脚部の切断はどうするか?

親戚も居るところで決断を迫られる我々。誰も言いだしっぺにならない。

私は自分が悪者に成ってもいいと思った。

     

「お母さんがたとえ助かっても、足がないことに気づいた時のショックを支えきれる自信がない。助からなかった場合には(死んだ)父親のところへ歩いて行けない」

      

私が発言してから、口に出して賛同する人が多かった。脚部は切断しない事となった。

     

*********************

夜は病院の家族控室に泊めさせてもらった。

母の様子を見て、先生に許可を貰い、そして兄弟で風呂屋に行ったりした。

帰りは車の中でビール休憩をしそして非現実的な妄想に逃れた。

     

「助かっても車椅子の生活に成るって言っていたじゃん?」

「電動の車椅子を買ってあげるつもりだよ」

「そしたらお母さんは面白がって外で運転しまくるだろうね」

「買い物に行く時もあの(近所の急な)坂は下りるなYO!って言わなくちゃなw」

     

30分程度の気休めの妄想に兄弟で生き延びた場合の希望に寄りかかり、そして現実の世界へ戻っていく・・・・

      

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2006年2月11日 (土)

Last Trip⑤

翌日私は彼に東京駅まで連れて行ってもらった。

私は切符を買ってもらい、そして無いと困るだろうからとお金も貰った。

そして一人で新幹線に乗った。弁当売りのワゴンを見て昨日今日と食事を殆どしていない事に気付いた。自分が倒れては話にならない!

私はサンドイッチを買い、そして吐き気を催しながら1枚つまみ、そして残した。

周りを見渡すと誰も涙を流している人は居ない!

母の事を思うととめどなく涙が溢れる!

私は真顔のまままるで花粉症の人が流す涙のようにポーカーフェイスのまま泣き続けていた。

*****************

現地に到着した!

兄弟に迎えに来てもらい、母の居る救急病院へ行った!

面会時間は決まっていたがいつ危険な状況になるか解からない身内を抱えている我々は時間に関係なく面会しても良いとの事だったが、菌の関係で一度に病室に入るのは2人までにしてくれと依頼されていた。

駆けつけた私と他の身内が同行しようとしたが、私は一人にさせてくれと言いそして母と二人きりになった!

**********************

生き地獄というものをリアルに感じた瞬間である。

目の前に人口呼吸器を付け、そして全身が包帯で巻かれ、そして4つぐらいの点滴がぶら下り、そしてむくんで人相の変わった母が目の前に眠っていた!

治療にあたって、安静にしなければ成らない為、昨日から眠らせているのだそうである。

私自身はどうすることも出来なかったが、母に申し訳なく思った。

耳元で、ごめんなさいね。痛い思いをさせちゃったね。。。。静かに私は泣き続けた。。。。

      

人工呼吸器のスーーーーーハーーーーーーという音が鳴り響く!

    

あ!!!!

この音は!!!!!!

土曜日の部屋で聞いた音だ!!!!!

      

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2006年2月10日 (金)

Last Trip④

泣きたい訳ではなかったが、不思議と涙が溢れてくる。

別に声を出して泣いていた訳ではない。

目から自然と涙が溢れてくるのである。

      

私はその日は朝まで起きていた。

そして朝まで泣いていた。

          

やっぱり土日までは待てないから、今日は仕事を片付けてそして明日から母の所に行くから。だからお金もよろしくと彼にお願いした。

      

鼻から息を吸い上げて、そして会社では泣かない様に普通にいつもの様に入り、そしてコーヒーを入れて少し落ち着いた頃に社長と上司の所に行き

      

「すみませ~~~ん」ココまでしか自分は気丈で居られなかった!

      

「土曜日に母が事故に有って危篤ですが、今日明日という状況では無いようです。今日のうちに仕事は全て処理しますので明日から少し休みを下さい。。。」泣きながら有給を依頼する私が居た。

       

「今日は帰りなさい」

       

同じ釜の飯を食った人間の暖かさを感じた瞬間である。

         

しかしその日は私は帰らなかった。

      

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Last Trip③

翌週は私の誕生会である!

    

この週の水曜日頃であったと思うが、私は朝起きてから、どうしても眠くなった!

倒れこむようにベッドの上に転がる私。。。。

      

すると!目をつぶった瞬間に画像が目の前に見えた!

      

塔婆の様な物が燃えていたのである!!!!

塔婆には文字が書いてあったが、それが何と書いているのかまでは認識することが出来なかった。

「びっくりしたなーーーーーーー」

夢で良かったと思う私。。。。。

       

その週もモチロン母は朝は電話を掛けてくるし、私も昼休みは電話をし、夜も電話をするという生活を送っていた。

金曜日の夜に母に電話をし、そしてまた他愛の無い会話を続ける。。。。

普通の日常が続いていた。

しかし、私の普通の日常はこの日で終わった。。。。

          

翌日の昼頃に弟から電話が入る。

「母が入院している」

私はどんな具合なのか聞いた。

母も意識が有るとの事だった。

私は弟に誰が何と言っても良いから携帯に母を出せと命令し、そして母は病室で私と電話で話をした。

       

暫くしてまた弟から電話が入る。

「母の姉妹も来ているんだけど、ステに来て欲しいそうだけど来て貰えないか?」

私は今は、結婚はしていないけれど、勝手に動いたり出来ないから彼に聞いてみるからと一度電話を切った。

   

      

彼に母の所に行きたいんだけど?と言って見た。

すると「キミは女性なんだから、長男にそういう事は相談をして指示を仰ぐのが筋でしょう。それにキミは医者ではない。キミが行ったところで何も好転しないでしょう?」

私は今日の誕生会は行く気分ではないと伝えた。

しかし、誕生会は絶対に行ってもらうとのことであった。

      

私は間に立たされた気分となり、そして腹が立ってきた。

弟に、そういう事は長男にまず相談しろ。それに私は今日は誕生会だ。どうして私にそんなに頼る?誕生会どころでは無くなるだろ?

そう弟に凄んだ。

         

誕生会は辛いものであった。

楽しくないのに楽しそうなふりをして過ごすことがこんなに大変だとは思っても居なかった。

しかし誕生会は無事終了し、そして家に帰り寝た。

       

朝起きて、更に状況が悪化している事が解かった。

兄は昨日一睡もせずに車を飛ばして自宅に帰ったそうである。

          

私はなるべく何も感じないようにして日曜日を過ごした。

そして、私は仕事は休まずに来週の土日に帰ろう程度に思った。

      

この日、私は深夜にベランダでタバコを吸っていたところ、1つ忘れていたことに気付いた。

      

「私はまだ母と別れる決意が出来ていない!!!!!」

      

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